基軸通貨「英ポンド」没落の歴史とその理由

基軸通貨としての英ポンド

19世紀末に世界の基軸通貨であった英国のポンドは、戦闘にスターリング地域(ポンドを決済通貨に使う地域)の基軸通貨へと後退し、第2次大戦後はその地位すらも喪失して、単に一国の国民通貨へと戻った。その間、たびたびポンド危機が発生し、通貨の信認が問われる事態が生じた。世界経済の現代史はまさにポンドの信認問題に翻弄され続けた歴史であったといってもよい。

 

歴史上、ポンドの信認問題が議論された有名な出来事は、1920年代における英国の金本位制復帰であろう。これに遡る第1次大戦前のポンドは金本位制のもとにあり、金1オンス=3ポンド17シリング10.5ベンスと定められ、この比率で銀行券の金兌換(銀行発行の紙幣を金と交換すること)が保証されていた。また、ポンドの対ドル相場は、両国通貨の裏付けとなっている金の量に基づき、1ポンド=4.86ドルげであった。戦時中に英国は金本位制を停止し、巨額の戦時
国債を発行した。戦後、1925年に英国は金本位制に復帰したが、その際に採用されたのが戦前の平価である。

 

 

達人のFX比較
FX歴5年の投資家が運営。最高のFX会社を選ぼう!FXの比較ランド。勝つためには サービス内容の評判がいいFX会社選びが重要です。スプレッドのFX比較から、ランドや トルコリラなど人気のスワップ金利通貨の為替レート情報を紹介。

FX初心者の入門
FX初心者の方むけの外国為替取引仕組み入門講座。取引スタイルに応じた業者選びから人気ランキング

 

 

 

 

 

地域的な基軸通貨にその活路を見出す

旧平価での復帰を批判した経済学者ケインズによれば、英米物価格差からみてポンドは10%以上過大評価されていたという。実際、20年代後半は、ポンドの過大評価により英国の貿易赤字が拡大したために、海外からの短期資金を引きつけて金の流出を抑えるべく、緊縮政策が求められた。だが、これにより英国の主要産業(石炭、繊維、造船など)の低迷が続き、失業問題が深刻化した。財政面も、国債費が経費のなかで一番多くを占める一方で、景気悪化により税収が減少したため、戦時に続いて再び赤字に転じた。これらのことがポンドの信認維持を問う事態になったのである。

 

29年にはニューヨーク株式市場の大暴落、その後31年にオーストリア、ドイツヘと金融恐慌が広がるなか、英国は大量の金流出に見舞われ、同年1月に金本位制を離脱する。この金本位制離脱へ導いた要因として、情報の役割も無視できない。金本位離脱に先立つ同年7月に「マクミラン委員会報告」が英国の海外短期債務依存の推定額を初めて公表し、金準備によるカバーがわずかであることを明らかにしていた。翌8月には「メイ経済委員会報告」が、英国の財政赤字の拡大を予測し、削減を求めた。これがポンドの信認喪失を決定的にしたといわれる。

 

30年代、英国は金本位制を離れて変動相場制へ移行する。経常収支が初めて大幅赤字へ転落するなかで、ポンド安への志向を強めた。32年に英国は為替平衡勘定(日本の外為特会に相当)を創設し、為替介入資金としたが、そこではドルや仏フランなど主要通貨に対するポンドの上昇は極力回避しつつ、緩やかな下落を許容するとい弓方針が採用された。

 

他方で英国は、自治領や植民地、政治経済的に関係の深い国々との間レ圧力となった。そのような状況下で、景気の過熱によ口貿易赤字が拡大し、外貨準備が減少すると、ポンド切り下げ懸念を生じさせ、リーズーアンドニフグズ(ポンド安を見越して輸入を早めたり、輸出を遅らせたりすること)や投機筋のポンド売りを誘発した。

 

50年代後半から60年代にかけて、ポンド危機は数年ごとに発生し、危機が起きるたびに、公定歩合の引き上げ、公共投資の削減、増税などが繰り返された。ストップーゴー政策である。それだけではない。60年代後半に入ると、こうした循環的な要因だけでなく、スターリング地域で外貨準備として保有されていたポンドが売られる傾向が強まり、ポンド危機の構造的要因として注目された。それまでポンド売りを仕掛けたのは主に非スターリング地域とみられていたが、今度はスターリング地域が、ドル地域への依存拡大などの変化を踏まえて、準備通貨の組み替えを本格化した。

 

特に、国際収支赤字の拡大と物価上昇を背景とした67年のポンド切り下げは、この傾向を加速するきっかけとなった。翌68年、国際通貨基金(IMF)の「ポラック報告」は英国の金融政策を批判し、国債価格支持政策の停止を要求した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きいと判断された基軸通貨維持のコスト

このポンド切り下げはドルの信認をも揺るがせた。ベトナム戦争に伴う財政膨張、国際収支赤字による金流出から、次に切り下げられるのはドルだという思惑が広がり、67〜68年には3波にわたる金への買い投機(ゴールドこプッシュ)が起きた。ドルヘの危機波及を食い止めるには、ポンドの急激な売昨丿を抑える必要があった。そこで、68年秋に合意されたバーゼル協定では、英国は20億びの融資枠の供与を受ける代わりに、スターリング地域保有のポンドにドル価値保証を付し、ポンドの対ドル相場が下落した場合、為替損失を補填するという措置を講ずることとなったのである。

 

戦後の英国では、海外保有ポンド残高が35億〜40億ドルに達する半面、金・外貨準備によるカバーがその20%程度でしかなかった。そのような状況の下で、ポンドの下落時に金利の引き上げや前に述べた為替損失の補填を迫られることは、ポンドの信認維持のために妬っコストが余りに大きく、国内の成長政策と鋭く対立すると考えられるようになった。こうしてポンドは最終的に地域的な基軸通貨の地位すらも降りるのである。

 

ポンドの歴史を振り返ると、政府債務問題がその信認維持に深ぐ関わっていたことが分かる。特に財政ファイナンスや国債の管理に中火銀行によるマネタイゼーション(貨幣化)が組み合わされると、通貨の信認が問われる。なかでも政府債務を海外勢が多く保有している場合、それは鋭く問われることになる。事例として有名なのが1923年のドイツのバイパー・インフレだ。これは不換紙幣の発行による財政ファイナンスが、人々のインフレ期待を一挙に高めるような形で行われ'たケースであったと考えられる。

 

今また政府債務問題に絡んで、ドルやユーロの信認が問われている。しかし、衰退期のポンドとは異なる点もある。まず、基軸通貨機能や金融市場の規模、最終消費地の点で、ドルや米国に匹敵する通貨や国はまだ現れていない。また、ユーロ圏も誕生してわずか10年余りであり、いまだ制度設計の不備を補うのに懸命である。日本もまた巨額の政府債務を抱えているが、国債は主に国内で保有されており、円は有数の債権国通貨である。とはいえ、ポンドの歴史は、これら通貨の将来を映し出す鏡かもしれない。